「何によって記憶されたいか?」
最近「ドラッカー」の本を読んでいたらそんな事が書いてありました。
ドラッカーが子供の頃、「50歳になってもこの問いに答えられないと、人生を無為に過ごしたことになりますよ!」と言われ強烈な印象を残したそうです。
何によって記憶されたいか?
という質問は
「どんな形で人から必要とされているのか?」
という事に繋がると思います。
やはり人から必要とされるにはそれなりの「業(わざ)」が必要であり、それには「人並み以上の努力」が必要だと思います。
・自分はどんな事で人様のお役に立てるのか?
・自分の「強み」は何なのか?
あらためてじっくり考えてみるきっかけになりました。
自分は50歳まであと・・・・・。
のんびりしてられない!!
子供や孫(←まだいないけど)、友人や仲間達から のちのち自分の事をふと思い出して貰った時にどのような「記憶のかたち」で残っているかは今後の行動次第です!
「何が正しい行動なのか?」という事は難しいことでたまに解らなくなりますが、自身が考える「最善の一手」を打ち続ける事で、後世の人からも「良い記憶のかたち」で思い出してもらう事ができたなら・・・それはひとつの成功した人生なのだと思います。
なんか「孫」とかまで考えちゃうと自分がすでにおじいちゃんになっちゃってる様な気がしてきましたが・・・
まだまだ現役です!!!(←これからっす!)
さぁてこれからも迷わず頑張っていこー☆